楽曲をオンラインで無料提供すると、デジタル販売の売り上げが増加する、という話を聞いたことがあるでしょう。本当でしょうか?

無料提供することで、より多くの人が聴くチャンスを持ち、結果としてファンが増え、デジタル販売の売り上げも増えるというわけです。本当でしょうか?

例えば、Mobyは、新作アルバムの中で、iTunesで1番売れているのが、今も無料で配っているShot in the back of the headだとBob Lefsetzに語っています

これは、Mobyという有名アーティストならではの例外的なケースなのでしょうか?

Corey Smithというインディミュージシャンの場合も、似たような事例が報告されています。彼は教師という定職を持ち、週末はライブをするという典型的なインディミュージシャンです。音楽の収入の大半がライブのチケットなので、プロモーションの意味も含め、アルバムを無料でダウンロードさせています。それでもiTunesでアルバムはそこそこ売れています。

ところが、実験的に無料ダウンロードを数ヶ月間休止したら、iTunesの売り上げも下がった、というのです。無料で配った方が、売り上げが上がるという分かりやすい例でしょう。

無料=売り上げ増加、のメカニズムは、実はよく分かっていません。未知のファンとの接点が増えるという単純な露出増加の結果なのか、無料で配るという心意気が市場の好感を得るのか、など色々な意見があります。

しかし、そのメカニズムがはっきりと分かる例が、ネット上にあります。Last.fmです。

Last.fmは、世界中の2千万人以上のメンバーがiTunesやiPodで聴いた楽曲の情報を集めており、特定のアーティストをよく聴く人に特徴的な音楽嗜好の傾向を常に分析しています。つまりアーティストAをよく聴く人は、アーティストCもよく聴くようだ、といった情報をデータベース化しています。この分析結果を基に、アーティストCを聴いている人に、「アーティストAも気に入るんじゃない」と薦めてくれるのです。こうして、Last.fmでは、メンバーが未知のアーティストを「発見」することができるわけです。

これは、いわゆる「お前はAが好きだよな? じゃぁ、Bも気に入るんじゃね?」という友人同士の口コミをウェブ上でシステマチックに、世界規模で行っているのと同じです。アーティストの側から見ると、膨大な数のメンバーを相手に、これまで自分の曲を聴いていないが、好きになる可能性が高いミュージックファンに効率よく自分たちを紹介してくれるサービスと考えられるわけです。

ところが、当たり前の話ですが、「Aを聴く人はBを聴く傾向にある」という結果が出るには、相当数のAのファンが、Bを聴いていなければなりません。つまり有名なアーティストやヒット曲を持つアーティストの方が、圧倒的に有利なのです。Aを聴く1万人のファンのうち、1人か2人しかBを聴いていなければ、決して「聴く傾向にある」という結果にはならないでしょう。

ある程度の数のメンバーが曲を聴いてくれなければ、Last.fmでメンバーに露出する機会は皆無なのです。

どれくらいのメンバーが聴いてくれると露出が始まるのか、というのは、一概には言えませんが、少なくとも300人のメンバーが聴いていないと、チャンスはゼロのようです。ファンが300人いるよ、というバンドでも、その300人全員がLast.fmのメンバーであるというのは、考えにくいことなので、とにかくより多くの人に曲を聴いてもらわなければなりません。

では、どうやって300人のメンバーに聴かせますか? 色々と考えれば、アイデアも浮かぶかも知れませんが、手っ取り早い方法は、無料で配ることでしょう。配って配って配りまくります。それで何人に配れますか? 多くても数千人でしょう。その内の数百人はLast.fmのメンバーであることを祈って配りまくるしかありません。

もったいないでしょうか? それで今まで出会うことがあり得なかった数千万人のメンバーを相手に、自分を推薦してくれるかもしれないんですよ。どちらがもったいないでしょう? なおLast.fmには、レーベルとして登録すれば、自分が直接アップロードした曲なら、無料で楽曲をダウンロードさせられるオプションもあるので、より効率よく無料で配りまくれるかも知れません。

勘違いしないで欲しいのですが、別にLast.fmを宣伝しているのではありませんよ。Last.fmはよいサービスですが、すべてのインディにお薦めというわけでもありません。ジャンルやターゲットのリスナーによっては、プロモーションとして有効活用できない場合もあり得ると思います。

あくまで口コミを説明する時に、理解しやすいと思うので、Last.fmのシステムを例にとったわけです。ミュージックファンは、気に入った曲を友達に薦めてくれるものなのです。そして、その友達が気に入ってくれれば、また友達に薦めてくれる。口コミとは、クモの巣状にドンドン拡大して行くものなのです。そして、その起点は多ければ多いほど、クモの巣の数は増えるわけです。クモの巣とクモの巣がどこか出会えば、そこからまた新しい方向へ加速度的に拡大もして行くでしょう。

つまり無料で楽曲を配ることを恐れる必要はありません。100人に配ったら、100人分の売り上げを損したなどと思うのは、愚の骨頂です。その100人がお金を払って買ってくれた保証はないのですから。仮に買うつもりだった人に配ってしまっても後悔するには当たりません。欲しかったものを無料でもらった人は、気を良くしますから、友達に勧めてくれる可能性が高まるのです。

もちろん、自分の作品を無料で配れば、作品の価値を下げることになるから嫌だ、という意見もあります。それなら配らなければいいだけです。配っても損にはならないよ、と言っているだけで、配らなければならないと言っているのではありません。配るも配らないも、インディ次第です。自分で判断し、自分で決断することこそ、インディの美点ですからね。